カテゴリー別アーカイブ: 妊娠・出産

七夕祭りとプリキュア

一宮の七夕祭りにコスプレイヤーさんがたくさんいました!
娘が大好きなプリキュアに遭遇。鳩が豆鉄砲食ったってこういうの? 嬉しいけど恥ずかしくてきょとんとした顔で控えめに記念写真を撮って握手。内心は相当テンション上がったようで結局2回も撮影してもらいました。笑
お姉さんたちはやってくる幼児たちとの撮影に丁寧に応じていて、見てください、膝小僧が真っ黒! SNS顔出しOKだそうです。趣味だろうけどプロ根性感じます。

真清田神社まで暑くて干上がりそうでしたがぶっ倒れず参拝できました。汗 水みくじによると「出産は安し、産後用心せよ」。長女の赤ちゃん時代は今思うと人生かけてた気がする。そういう気構えが孤独感になって鬱っぽくてつらくてホルモンのせいにしてたな。次は泣かれても放っておけそうだけどホルモン変化には抗えません。産後鬱に見舞われるのかどうか、長女の一人天下もあと一週間です。

出産の予定

いやじつは1か月ちょっとくらいで出産の予定です。今回は脱いで撮影はたぶんしなさそう、前回脱いで満足したから? 一度膨れたお腹はよくのびるようでとにかくお腹が重くて……妊娠期間てこんな長かった!?

ひっそりと年末年始からつわりでした。長女の時と違ってつわりは短期決戦で済みましたが今回は胸焼け、胃の圧迫感がず~っと続き、汚い話ですがげっぷと歯磨きするといくらか楽になります。2月は雪の残る札幌出張、文化庁事業のアートイベント、4・5月は研究者の取材と原稿書きも時に明け方まで頑張りました。つわりが我慢できたので毎月のmini登山もほぼ欠かさず行けました。

こないだの金華山は仲良しファミリーとキャンプからのハシゴでしたが、夫が不在だったので山岳用テントで娘と寝ました。設営は手伝ってもらいましたがさすが軽量されたエアライズ、妊娠9か月でも一人で撤収できるすごいテントでした!

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二人目って可愛いそうですね。男の子ってめちゃくちゃで理解不能だけど可愛いそうですね。胎児ネームすら定まらないほどお腹の子に構ってあげられていませんが、二度目の出産と育児には不思議なくらい楽観。あれほど辛かったのに。実際生まれてきたら大変でストレスも感じると思いますが、2~3年たてば少しは手離れするだろうという経験がこれほど気を楽にさせてくれるんですね。

昨日は娘と二人でドーナツ屋さんでお茶しましたが、そんな時間も貴重な思い出になると思うと娘とゆっくり過ごそうと思います。で、生まれてきたら、イヤイヤ期ともまた戦わざる得ませんが、赤ちゃんを背負って山に行ったり車中泊したり、母の都合ですが子どもが母のライフワークに付き合ってくれたら幸せです。

流産の記録

ついにテキストを打つことにする。
にぎやかな北アルプスの写真なんかがSNSを盛り上げているけど、3連休はまだ自宅にいた。SNSは極力見ない。見ていいときと、見ちゃだめなときがある。(そんでこの投稿も消すかもしれない)

ここ1か月くらい、そんなぁって言いたくなるようなショックな出来事が重なった。娘の下まぶたに腫瘤ができてしまい全身麻酔で手術と診断されたこと(リスクのある手術は拒否し保存療法で経過を見ている)、妊娠3か月ではかないものを失ってしまったこと……。

いいね!で人と人がつながる世界に距離を取るか、あえて書くか。めでたいことがいいよね、楽しいことがいいよね。でもあえて書いてやる。書けるということは、私は回復途上に入ったということ。起き上がり、体が回復し、また山を歩けるくらい元気になれる気がする。

そのとき、点滴の管から静脈に麻酔薬が入れられると、数秒で意識がなくなった。気が付いたときはストレッチャーから病室のベッドに移されたあたりで、これが不思議な体験だった。麻酔というのはおそろしい、耳だけは聞こえているのだ。音は聞こえる、だけど体はズンと沈んで全く動かない。そのうちまぶたが開くようになった。夫が私をのぞきこんで声をかけようか迷っている。私は何か言いたいけど口が動かない。(ねえ、ちょっと、大丈夫かとか聞いてよ、私聞こえているんだけど)。夫は何も言わずに視界から消えた。(目をしばたかせてアピールしたのに)。これを二度ほど繰り返す。相変わらず耳は冴えていた。次に手足の指が動くようになった。もぞもぞと動かしているうちに、えいっと気合を入れたら口が動いた。また夫が顔をのぞかせたタイミングで「足、のばして」。曲がっていた足をのばしてほしかった。「足?」夫が布団をめくり、のばしてくれた。結局2時間くらいで歩けるほどに麻酔が抜けた。

あとで夫に、あのときもっと「調子どう」とか「寝てていいよ」とか何でもいいから声をかけてほしかったと言った。もしいつか私が植物状態になったとしたら、たぶん聞こえているんだから何か話しかけてよとお願いした。その時は声をかけてくれるそうだ。

最近続いた出来事はどれもショックで泣けた。しかし子どもがより愛しく思える出来事でもあった。うまく言えないけど、家族や自分を大事に、何より子どもと自分それから夫、時にそれが内向的で消極的な行動を選択しなきゃならなくても、それでいい、そうしなきゃならないこともあると思ったりしたりしたのである。
自戒めいたことを書いたが、そんなことより二度目(!)の流産をした私、なんで私ばっかりってつらかったよ。もう食べたいものを食べて、行きたいところに行って、また考えよう。また、山に登りましょ!

生後1か月の思い出

 毎日寝起きしているだけで里帰りのため家事もせず家に閉じこもり、気がついたら数日後に香桜ちゃんの1か月健診が迫っていました。何度愚痴を書きたかったことか。彼女を誰かに預けて消えたくなったことか。イライラしてはストレスやしんどさに悩み自問自答して、肉体的な疲労や不調も続き。しかし小さな気づきや改善を繰り返して少しずつうまくいき、まぐれだと思ったことがそうでもなくなり。
 香桜ちゃん。かお、と読みます。2週間くらい前は完ぺきなかわいさだったのです。最近太って、あのかわいさは薄れてしまいました。今も寝ている横顔はクレヨンしんちゃんみたいなほっぺでたまらないけど、くるりと顔を正面に向けるとほっぺから下、肉つきすぎ!ええ、わかっていますとも、これがあるべき成長の過程、お乳がちゃんと飲めている証拠だと。

 生まれてしばらくは、人間といっても動物的なんですよね。コミュニケーションできず、昼夜もなく、表情や手足の動きは原始的な反応や反射で、だからお世話するこっちはたいへん。とにかく泣く。泣かれても要求が分からない。寝たらプスプスキューキュー鳴く。夜でも3時間も4時間も寝ない。裸になるとこの世の終わりのような悲鳴をあげる。手がひらひらとやたら空を踊る。新生児特有のいろいろが、かけがえのない「かわいさ」なんだと私気づいちゃったんです。しんどいけど、それでこそかわいい。これから脳が発達してお利口さんになっていくと、お世話はしやすくなるだろうけど、この不思議なかわいさに限っては消えていく。淋しくたって私は親。成長は止められないので、思い出として胸にしまっていきます。

 さらにさかのぼると、胎児だった頃は妖精みたいだったと思っています。目に見えない空想の別の生き物だった感じ。だからか生まれてきた彼女をおなかにのっけてもらったとき(すごく泣いてたなー)、感動よりは戸惑った。妊娠のゴールの感動はなく、育児のスタートの現実にいきなり放り出された気持ちで。
 これを書きたかったのです。香桜ちゃんが生まれて2回目の夜、明け方のこと。おっぱいをあげるのも吸うのもお互いうまくできなくて、私は眠らない彼女を抱っこしたまま横たわり途方に暮れていました。そのとき、目をつむって腕の中の動きを感じていると、胎動と同じ!パンプキンだ。おなかにいたんだ……。わんわん泣けましたー。
 妊娠のゴールはこの瞬間だった気がします。今でも香桜ちゃんをおなかにくっつけていると、パンプキンを思い出すことがあります。

出産の記録 (6)

 16:00
悲鳴をあげながら部屋に戻り、分娩台になるベッドによじのぼり、助産師さんに手伝ってもらいながら破水しているかの内診。もうなされるがまま。破水していたことから、助産師さんが何かを取りに離れたときに、強い陣痛が。これがもうどうなっているのという痛さで、わけがわからない。「どうしたらいいの!」と大声で叫んだ。そんな自分を客観的にかわいそうだと思ってしまった。
もうよく分からないけれど、とにかく急に周りが騒がしくなった。ばたばたと助産師さんが周囲に集まってきている感じがして、見えていないけど5人、いやもっといたような気がする。痛みが来たとき、いきんでいいのか分からなくて、「どうしたらいいんですか! いきんでいいんですか!」と叫ぶと、「できるならいきんでいいのよ」。そうなのかと理解して力を入れると、記憶が曖昧だけど、赤ちゃんの頭ががしっと股にはさまった。文字通り、ほんとに何かでっかいものが出口をふさいだ感じがした。この感覚が、お産でもっとも衝撃的なことの1つだった。痛いのか違和感なのか恐怖なのか、何なのか。「もう頭出てるんじゃないの!?」くらいの感覚だった。
ここからは陣痛が来たらいきむ、引いたら極力休めるように努めるの繰り返し。通常1時間はかかるらしいこの時間が、私は30分くらいだったよう。陣痛は間をあけずにどんどんきた。横向きに寝ていて、手はベッドの柵を握っていた。長くウーンといきむよりも瞬間的に力を加えた方がいいらしく、「息を止めてー」と助産師さんに力をためるよう合図をもらった。私、このいきみが強かったのか、夫曰く顔は赤を通り越して青黒く、ひたいに青筋がたっていて切れそうに見え、「このまま死ぬんじゃないか」と思ったらしい。そしていきんで波が去ると毎度吐いた。3回以上吐いたと思う。こんなふうに胃から出てきちゃうなら、さっきあんなに食べるんじゃなかったと苦しい中で思った。
陣痛の合間は緊張と痛みと恐怖で全身をブルブル震わせていたけれど、助産師さんに「手の力を抜いて~」とか声をかけられて、なんとか呼吸をして落ち着こうとした。ほんの数分の合間に、不思議と少しは休まった。「もう赤ちゃんの頭が見えてますよ」とかも言われて、どうやらいきむと頭が出てきて、力を抜くとまた引っ込むという状態になっているらしい。
いよいよ「あと数回だと思います」。頭が出て、次のいきみで何かゴツゴツしたものが出てきた感覚。午後4時43分、ついに生まれました。ベビーは頭が出た状態ですでに泣きそうになっていたらしい。全身が出てくると大きな声で泣いた。そして私のおなかの上に載せてくれた。ベビーはすっごく温かかったのと、重かった。

出産の記録 (5)

 15:00
 時間はよく覚えていないけど、助産師Tさんに勧められてトイレと内診に行くことに。この部屋は他のLDRなどと違ってトイレがない! 廊下を歩いて、自動ドアの外のトイレまで20mくらい。こうしたトイレに行くことや歩くことは、重力を使って赤ちゃんが下がってくるようにする作用があると私も理解していた。
 だんだん陣痛の痛み方も変わってきていて、立って歩くとおしりの穴と腰全体がブルブル震えるような痛みで、助産師さんはおしりの穴を下から押し上げるように手で支えて、私の陣痛を逃してくれた。確かにそうしてもらうと楽だった。歩くときは夫につかまりながら。陣痛の合間も、痛まなくても痛みの余韻を引きずるので苦しくってまともに歩けない。
 トイレの中まではさすがに誰も付き添ってくれない。これまた不思議で、トイレに入っている間は陣痛が来なかった! そしておしっこもそれなりに出た。もう、こういう、うんちの出口、おしっこの出口、赤ちゃんの出口がどういう仕組みなのかはさっぱりわからない! トイレに入っている間、何分も私が痛がらないので、「逆に不安になりますね」と夫が言っているのが聞こえた。
 そして内診台のある部屋までさらに歩いて移動。パンツを脱ぐのもたいへん。内診台ではTさんが「何かした」。何をしたのか分からない。ただ何かをして、そして痛すぎて叫んだ。Tさんから「もう9センチ開いてますよ! 破水をまだしていないですね。破水をしたらぐっと進むと思うんですけど」。そして私が低身長なので赤ちゃんが骨盤を通れるか心配していたことを知っているので、「赤ちゃんの頭はすぐそこに見えてますよ! 大丈夫、赤ちゃんちゃんと通れます!」と力強い言葉をかけてくれた。大丈夫、帝王切開しなくても、産める!(ちなみにこの病院は低身長でもレントゲン検査はギリギリまでしない)
 Tさんはこのあと別件があり、分娩まで付き添ってもらうことはできなかった。

 15:30
 部屋に戻り、再び夫と母と3人になる。
 Tさんは、あとは赤ちゃんの頭がはまってくること、そして破水だと言っていた。どうしたらそうなるんだろう。また椅子に座ったりしているが、自分が疲れてきて息切れしてきている。「疲れた……」と夫に言っていると、やってきた助産師さんが一度横になって休むといいですよ、と言う。うーん、そうなのかなと思いながら、昨夜横になって陣痛を耐えていたときがすごく痛かったので不安に思いながら、なんとか分娩台によじのぼる(この病院はフリースタイル分娩を推奨しているのでセミダブルくらいの大きく平らな可変式ベッド)。
 横になると、これまた意外なほどリラックスでき、陣痛は何分も来なかった。そして私は合間に確かに眠った。考える余裕すらなかったけど、昨夜からほとんど寝ていないので。30分くらい横になった気分だけど、実際は10分15分だったと思う。二度ほど、左右で夫と母親に見守られながら、うとうととした。夫と母親がどうでもいいことを雑談しているな……とぼんやり思い、こっちは必死で休んでるんだから黙っててよ、などと思っていた。助産師さんのアドバイスで一時リラックスできたことは、最後まで分娩を頑張れたパワーになった。
 横になっている間にも二度ほど痛みが来て、それはものすごく痛かった。耐える声は悲鳴になっていた。

 15:40
 のどが渇き、おなかもすいた気がして、起きて、何かを飲んで食べた。桃の味のジュースと、りんご風味のパンだった気がする。本当は私が食べたいものはそれではなく、桃の味のジュースもあまりおいしいと思わなかった。
 横になっていたとき何か漏れた気がして、それが出血か破水か分からなかったことと、またトイレに行ったらお産が進むかもしれないと思い、起きてまた20mほど先のトイレまで歩きだした。陣痛がかなり強い。たまらずコールして助産師さんに来てもらい、おしりを押し上げてもらいながら歩く。すがりついていた夫の腕を私が腕力すべてで握りこんでいたので、夫はかなり痛かったらしい。
 ちなみに入院してから何度か「オンギャー」という赤ちゃんの泣き声を聞いていた。どんどん産まれていっているんだ。「次は○○の部屋でその次は●●の部屋の順番だと思う」などの助産師さんの声も聞いた。陣痛に耐える他の産婦さんの声は、自分の声ばかり聞こえていて、あまり耳に入らなかった。
 トイレに、また一人になるのを不安に思いながら入る。今度は便座に座って用を足したあと、痛みが来てしまった。「あー、痛い!」と声を出したとき、「ボフン」という音のような衝撃のようなものが。あ、これが破水かも。外から「大丈夫ですかー、出てこられますかー」。ガクガク震えながら扉を開けて破水したかもと告げると、部屋に戻って確認しましょうとのこと。
 戻る最中もかなりの痛みが襲う。もう、顔も上げられないし目も開けていられない。

出産の記録 (4)

 10:30
 入院の手続きを終えて病棟に移動。
 ところがLDR(陣痛・分娩・処置が同じ部屋でできる)も陣痛室も、空いていないらしい! じつはこの日は出産ラッシュで、帝王切開を入れて7~8人ほどが出産に臨んでいた。同時にこの人数は年に数回あるくらいのことだそう(3日前が満月、前日と前々日が大潮だった)。どこで待たされるのか? すると廊下いちばん奥の部屋に通される。そこは「緊急分娩室」といって普段使うことがないそうで、段ボールや機材が並んで物置状態!? おそらく帝王切開もできるだろう特殊なライトも天井に付いていた。事前に見学したLDRにはあったトイレ・バスやソファーはない。夫は居場所がない感じだった。
 おなかに赤ちゃんの心拍と張り(陣痛)を計測する装置を付け、とにもかくにも陣痛に耐える。書類に何か書いたり飲み物を買ってきたりというのは何でも夫に任せる。
 助産師さんが手取り足取り陣痛の痛みに耐える方法を教えてくれるのかと思っていたけれど、特にそういうアドバイスはなかった。そんなもんなのかな?

 11:00
 陣痛すでに5分間隔を切っていて、1分半ほど痛みの山があり、2分ほど痛みが引く時間があった。どうやらこれは「順調」だったようで、人によっては痛みがもっと来てほしいのに間延びすることがある。そうするとお産が長引いて母子の体力を消耗させることがある。私はガシガシ押し寄せていた。モニターの波形を見ても明らかで、張り(陣痛)の山の頂点はグラフの上端を超えていた。
 助産師さんは最初こそいたもののすぐに消え、陣痛に耐える間は基本的に夫と二人(あとからは母も加わった)だった。座っているのが楽に思っていたので、アクティブチェアというもたれかかれる椅子を持ってきてもらって座った。私的にはこの椅子はアクティブ(動く)である必要はなかった……。
 数分間隔の痛みが1時間も2時間も続くと思うと気が狂う。でも案外1時間はあっという間に過ぎた。よく肛門にテニスボールを当てるといきむ感じを抑えられるという。私もやったけど、ボールがでかくていまいち(ゴルフボールならよかったかも)。代わりに本で読んでいた「麺棒(生地をのばす丸い木の棒)」を持ってきていて、本当は腰をぐりぐり押してもらう予定だったけれど、おまたに挟んで座ると痛みを逃せていい感じ。そして陣痛の波に合わせて夫におしりを左右2点、ググーッと指圧してもらった。やるとやらないとでは全く違う! コツは波が引くときに、指圧の力も徐々に弱めること! 急にパッと離すと反動でひどく痛むので、なだらかに力を弱めてもらった(夫はこれが上手だった)。途中からは合間の時間に背中に手を当ててもらい、「背もたれ」してもらうと楽だった。
 痛みはまだ受け入れられていた。昨夜スーパーで買っておいたパンを1つ食べた。

 13:00
 昼食が運ばれ、夫も途中で売店などに行く。引き続き変わらない痛みの波。この辺りから時間はあいまい。ただ13時頃には、妊婦健診で見てもらっていた助産師Tさんが来てくれた。知っている顔を見るととても安心する。陣痛で不思議だなと思ったのは、決まった間隔でくるのに、こうしたリラックス状態など何か心に変化があると、波が来ない時があること。Tさんと会話している間は長い間静かだった。
 Tさんから、「赤ちゃんの頭がはまってからも普通は1~2時間かかる」と言われる。「はまる」がこの時よくわからなかったが、Tさんは分かると言う(私の場合は子宮口が全開になった状態で破水もしていて、いきむ時間になったときに「はまった」)。それが夕方くらいかもと言われる。今日中に生まれればと思っていたけど、夜まではかからないかもしれない、と思った。
 痛みを逃すには呼吸が大事で、とにかく息を吐くことと聞いていたので、それに集中していたら過呼吸になったらしい(酸素の吸い過ぎ)。指先がしびれてきておかしいので助産師さんを呼ぶとビニール袋を渡された。口に当てて息をしていたら、だんだんしびれがなくなった。

 14:00
 この病院は誰でも付き添うことができる。母親が付き添うことは少ないらしい。実母にどうするかとメールしていたところ、付き添う気があるような返事が来ていた。「分娩室に移動したら呼んで」というけど、私がいる場所はそのまま分娩できちゃう部屋。意外とそろそろなのかもしれないと思ってきて夫に電話してもらう。ほどなくして母がやってきた。
 夫にしろ母にしろ、付き添ってもらう私の気持ちとしては、「産後に自分や子どものお世話をしてもらいたいので、どんなに苦労して産んでいるのか実際に見てほしい」「産後はとにかく余裕がないだろうから、多少私が面倒をかけてもいたわってもらいたい」と思っていた。ひどく痛がる様子とか分娩の現場を見てもらうのはどうかとも思ったけど、なるようになれという気持ち。
 私や夫は緊迫した状態でいたところ母は調子が違っていて、私は受け答えの余裕もなかったけれど、まあ気が紛れたからよかったかな……。すぐとなりのスーパーで、バナナ、カステラ、ジュース、パンなどを買って来てくれた。お産は体力! 私は病院食の三色そぼろ丼をほぼ食べていた。

出産の記録 (3)

 9:00
 準備に手間取ってやっと出発。入院になるかもしれないから、その用意をすべて車に積んだ。けっこうな荷物! 買っていたあんぱんと温かいお茶も。車で走って約30分。その間に病院に電話を入れ続けるとやっとつながる。再診の受付をしないで直接産婦人科外来に来てほしいと言われる。
 助手席に座りながら、ウーウーうなる。もうすでに5分くらいの間隔だった。

 9:30
 病院に着くと今日に限って駐車場の入口に列! なかなか進みそうにない。夫に付き添われないで一人で歩いて外来まで行けるか不安だけど、かなり待ちそうだったので一人で行くことに。トートバッグだけ持って車を下りるが、すぐに痛みがやってきて、ロータリーに停車した車の間で立ち止まって1分ほど歩けなくなっていた。視線を感じるが歩けないものは歩けない。カバン1個すら重くて……。すると夫が気づいたらしく、ロータリーに車を寄せてハザードを点灯させ、駈け寄ってきた。
 付き添われて2階の外来まで歩いていく。

 9:40
 外来は大混雑。年内最後の診察日だからか。助産師さんに「ごめんなさいもう少し待って」と待たされる。
 やっと内診。私はずっと「助産師外来」でやってきているので、臨月になってから内診が初めてだった。部屋を移動する私を見て「ちゃんと痛そうね、よしよし」と納得された。うなりながら内診台に上がる。ここで子宮の入り口が何センチ開いているか確認する。「もう半分開いてます!入院です」。やった!よかった! ブログなど見ていると、病院に来てまだ1センチとかで帰されたりしているのでそういう事態を想定していたけど、私はもう半分(つまり4~5センチくらいか?)開いてるらしい。つまりお産が進んできているのだ。私の場合は「子宮口1センチからなかなか広がらない」という時間はなかった。
 やっぱり昨夜からの痛みは陣痛だったんだ……。痛みに耐えている間にどんどん子宮口が開いていってたらしい。安堵した。入院の手続きの説明を受け、外来の助産師さんに見送られるとき、「ちゃんと進んでいますよ、大丈夫です!」とやたら力強い言葉をかけていただいた。
 あとで聞いたことだけど、横になっているよりも座っている方が、重力の力も借りて赤ちゃんが下りてくるのでお産が進むそう。夜中に座って耐えていたのはよかったみたいだ。
 外来を、おばあちゃんのような姿勢で歩いて移動する私。診察に来ている人たちは「あれが陣痛のさなかの妊婦か」と思って見ていたに違いない。