流産の記録

ついにテキストを打つことにする。
にぎやかな北アルプスの写真なんかがSNSを盛り上げているけど、3連休はまだ自宅にいた。SNSは極力見ない。見ていいときと、見ちゃだめなときがある。(そんでこの投稿も消すかもしれない)

ここ1か月くらい、そんなぁって言いたくなるようなショックな出来事が重なった。娘の下まぶたに腫瘤ができてしまい全身麻酔で手術と診断されたこと(リスクのある手術は拒否し保存療法で経過を見ている)、妊娠3か月ではかないものを失ってしまったこと……。

いいね!で人と人がつながる世界に距離を取るか、あえて書くか。めでたいことがいいよね、楽しいことがいいよね。でもあえて書いてやる。書けるということは、私は回復途上に入ったということ。起き上がり、体が回復し、また山を歩けるくらい元気になれる気がする。

そのとき、点滴の管から静脈に麻酔薬が入れられると、数秒で意識がなくなった。気が付いたときはストレッチャーから病室のベッドに移されたあたりで、これが不思議な体験だった。麻酔というのはおそろしい、耳だけは聞こえているのだ。音は聞こえる、だけど体はズンと沈んで全く動かない。そのうちまぶたが開くようになった。夫が私をのぞきこんで声をかけようか迷っている。私は何か言いたいけど口が動かない。(ねえ、ちょっと、大丈夫かとか聞いてよ、私聞こえているんだけど)。夫は何も言わずに視界から消えた。(目をしばたかせてアピールしたのに)。これを二度ほど繰り返す。相変わらず耳は冴えていた。次に手足の指が動くようになった。もぞもぞと動かしているうちに、えいっと気合を入れたら口が動いた。また夫が顔をのぞかせたタイミングで「足、のばして」。曲がっていた足をのばしてほしかった。「足?」夫が布団をめくり、のばしてくれた。結局2時間くらいで歩けるほどに麻酔が抜けた。

あとで夫に、あのときもっと「調子どう」とか「寝てていいよ」とか何でもいいから声をかけてほしかったと言った。もしいつか私が植物状態になったとしたら、たぶん聞こえているんだから何か話しかけてよとお願いした。その時は声をかけてくれるそうだ。

最近続いた出来事はどれもショックで泣けた。しかし子どもがより愛しく思える出来事でもあった。うまく言えないけど、家族や自分を大事に、何より子どもと自分それから夫、時にそれが内向的で消極的な行動を選択しなきゃならなくても、それでいい、そうしなきゃならないこともあると思ったりしたりしたのである。
自戒めいたことを書いたが、そんなことより二度目(!)の流産をした私、なんで私ばっかりってつらかったよ。もう食べたいものを食べて、行きたいところに行って、また考えよう。また、山に登りましょ!