生後1か月の思い出

 毎日寝起きしているだけで里帰りのため家事もせず家に閉じこもり、気がついたら数日後に香桜ちゃんの1か月健診が迫っていました。何度愚痴を書きたかったことか。彼女を誰かに預けて消えたくなったことか。イライラしてはストレスやしんどさに悩み自問自答して、肉体的な疲労や不調も続き。しかし小さな気づきや改善を繰り返して少しずつうまくいき、まぐれだと思ったことがそうでもなくなり。
 香桜ちゃん。かお、と読みます。2週間くらい前は完ぺきなかわいさだったのです。最近太って、あのかわいさは薄れてしまいました。今も寝ている横顔はクレヨンしんちゃんみたいなほっぺでたまらないけど、くるりと顔を正面に向けるとほっぺから下、肉つきすぎ!ええ、わかっていますとも、これがあるべき成長の過程、お乳がちゃんと飲めている証拠だと。

 生まれてしばらくは、人間といっても動物的なんですよね。コミュニケーションできず、昼夜もなく、表情や手足の動きは原始的な反応や反射で、だからお世話するこっちはたいへん。とにかく泣く。泣かれても要求が分からない。寝たらプスプスキューキュー鳴く。夜でも3時間も4時間も寝ない。裸になるとこの世の終わりのような悲鳴をあげる。手がひらひらとやたら空を踊る。新生児特有のいろいろが、かけがえのない「かわいさ」なんだと私気づいちゃったんです。しんどいけど、それでこそかわいい。これから脳が発達してお利口さんになっていくと、お世話はしやすくなるだろうけど、この不思議なかわいさに限っては消えていく。淋しくたって私は親。成長は止められないので、思い出として胸にしまっていきます。

 さらにさかのぼると、胎児だった頃は妖精みたいだったと思っています。目に見えない空想の別の生き物だった感じ。だからか生まれてきた彼女をおなかにのっけてもらったとき(すごく泣いてたなー)、感動よりは戸惑った。妊娠のゴールの感動はなく、育児のスタートの現実にいきなり放り出された気持ちで。
 これを書きたかったのです。香桜ちゃんが生まれて2回目の夜、明け方のこと。おっぱいをあげるのも吸うのもお互いうまくできなくて、私は眠らない彼女を抱っこしたまま横たわり途方に暮れていました。そのとき、目をつむって腕の中の動きを感じていると、胎動と同じ!パンプキンだ。おなかにいたんだ……。わんわん泣けましたー。
 妊娠のゴールはこの瞬間だった気がします。今でも香桜ちゃんをおなかにくっつけていると、パンプキンを思い出すことがあります。