出産の記録 (4)

 10:30
 入院の手続きを終えて病棟に移動。
 ところがLDR(陣痛・分娩・処置が同じ部屋でできる)も陣痛室も、空いていないらしい! じつはこの日は出産ラッシュで、帝王切開を入れて7~8人ほどが出産に臨んでいた。同時にこの人数は年に数回あるくらいのことだそう(3日前が満月、前日と前々日が大潮だった)。どこで待たされるのか? すると廊下いちばん奥の部屋に通される。そこは「緊急分娩室」といって普段使うことがないそうで、段ボールや機材が並んで物置状態!? おそらく帝王切開もできるだろう特殊なライトも天井に付いていた。事前に見学したLDRにはあったトイレ・バスやソファーはない。夫は居場所がない感じだった。
 おなかに赤ちゃんの心拍と張り(陣痛)を計測する装置を付け、とにもかくにも陣痛に耐える。書類に何か書いたり飲み物を買ってきたりというのは何でも夫に任せる。
 助産師さんが手取り足取り陣痛の痛みに耐える方法を教えてくれるのかと思っていたけれど、特にそういうアドバイスはなかった。そんなもんなのかな?

 11:00
 陣痛すでに5分間隔を切っていて、1分半ほど痛みの山があり、2分ほど痛みが引く時間があった。どうやらこれは「順調」だったようで、人によっては痛みがもっと来てほしいのに間延びすることがある。そうするとお産が長引いて母子の体力を消耗させることがある。私はガシガシ押し寄せていた。モニターの波形を見ても明らかで、張り(陣痛)の山の頂点はグラフの上端を超えていた。
 助産師さんは最初こそいたもののすぐに消え、陣痛に耐える間は基本的に夫と二人(あとからは母も加わった)だった。座っているのが楽に思っていたので、アクティブチェアというもたれかかれる椅子を持ってきてもらって座った。私的にはこの椅子はアクティブ(動く)である必要はなかった……。
 数分間隔の痛みが1時間も2時間も続くと思うと気が狂う。でも案外1時間はあっという間に過ぎた。よく肛門にテニスボールを当てるといきむ感じを抑えられるという。私もやったけど、ボールがでかくていまいち(ゴルフボールならよかったかも)。代わりに本で読んでいた「麺棒(生地をのばす丸い木の棒)」を持ってきていて、本当は腰をぐりぐり押してもらう予定だったけれど、おまたに挟んで座ると痛みを逃せていい感じ。そして陣痛の波に合わせて夫におしりを左右2点、ググーッと指圧してもらった。やるとやらないとでは全く違う! コツは波が引くときに、指圧の力も徐々に弱めること! 急にパッと離すと反動でひどく痛むので、なだらかに力を弱めてもらった(夫はこれが上手だった)。途中からは合間の時間に背中に手を当ててもらい、「背もたれ」してもらうと楽だった。
 痛みはまだ受け入れられていた。昨夜スーパーで買っておいたパンを1つ食べた。

 13:00
 昼食が運ばれ、夫も途中で売店などに行く。引き続き変わらない痛みの波。この辺りから時間はあいまい。ただ13時頃には、妊婦健診で見てもらっていた助産師Tさんが来てくれた。知っている顔を見るととても安心する。陣痛で不思議だなと思ったのは、決まった間隔でくるのに、こうしたリラックス状態など何か心に変化があると、波が来ない時があること。Tさんと会話している間は長い間静かだった。
 Tさんから、「赤ちゃんの頭がはまってからも普通は1~2時間かかる」と言われる。「はまる」がこの時よくわからなかったが、Tさんは分かると言う(私の場合は子宮口が全開になった状態で破水もしていて、いきむ時間になったときに「はまった」)。それが夕方くらいかもと言われる。今日中に生まれればと思っていたけど、夜まではかからないかもしれない、と思った。
 痛みを逃すには呼吸が大事で、とにかく息を吐くことと聞いていたので、それに集中していたら過呼吸になったらしい(酸素の吸い過ぎ)。指先がしびれてきておかしいので助産師さんを呼ぶとビニール袋を渡された。口に当てて息をしていたら、だんだんしびれがなくなった。

 14:00
 この病院は誰でも付き添うことができる。母親が付き添うことは少ないらしい。実母にどうするかとメールしていたところ、付き添う気があるような返事が来ていた。「分娩室に移動したら呼んで」というけど、私がいる場所はそのまま分娩できちゃう部屋。意外とそろそろなのかもしれないと思ってきて夫に電話してもらう。ほどなくして母がやってきた。
 夫にしろ母にしろ、付き添ってもらう私の気持ちとしては、「産後に自分や子どものお世話をしてもらいたいので、どんなに苦労して産んでいるのか実際に見てほしい」「産後はとにかく余裕がないだろうから、多少私が面倒をかけてもいたわってもらいたい」と思っていた。ひどく痛がる様子とか分娩の現場を見てもらうのはどうかとも思ったけど、なるようになれという気持ち。
 私や夫は緊迫した状態でいたところ母は調子が違っていて、私は受け答えの余裕もなかったけれど、まあ気が紛れたからよかったかな……。すぐとなりのスーパーで、バナナ、カステラ、ジュース、パンなどを買って来てくれた。お産は体力! 私は病院食の三色そぼろ丼をほぼ食べていた。