月別アーカイブ: 2019年5月

岳人|富士山ルポ掲載されます

6月6日に全国発売みたいです♬
岳人の別冊『夏山2019』の富士山特集で取材協力しました。今年はだんなちゃまも登場でーす。夫婦であるとか、じつはばぁばの家に子どもを預けて登りにきたとかは、どこにも書きませんでしたが。

校了した誌面見ていないので届くのが楽しみ……だけど忙しくてあまり面白い原稿を追求できなかった……気がする……。加戸さんの写真がとてもすてきなのと、他の百名山特集とかも心がワクワクするビジュアルなので、壮大な自然の景色に癒されたいと思います。

この取材で全身をモンベルウェアに染めてみた夫は、この時使ったTシャツを4枚も購入し、ソフトシェルも購入して愛用していて微笑ましい。

(6/6追記) 全国の書店、モンベルストア、ウェブサイトにて好評発売中です。
http://webshop.montbell.jp/goods/disp.php?product_id=0001913

文化庁|ヘルスケアアート2019年度の活動

医療福祉施設にアートを取り入れて患者さんやご家族、スタッフのストレスを減らし環境改善を目指す、ヘルスケアアートとそのマネジメントを学ぶ8回にわたる連続講座を2019年度も開催します!

キックオフ講座(6/29土)はそれだけの参加もでき、「病院とは思えない」と有名な倉敷中央病院の建築家と千里リハビリテーション病院の理事長をお呼びします。夜間の連続講座は7/11木から毎週、全国から医療や建築、デザイン、アートマネジメントなどに携わる専門家をお呼びして、数々の事例やその手法から学びます。
英国から2名を招いて先進事例を聞く国際シンポジウムも決定しています(10/12土@名市大病院大ホール)。

私は受付とか運営とかしております。今年もたくさんの受講者さんと会えるのを楽しみにしています。

ヘルスケアアートウェブサイト 
https://healthcare-art.net/

アート、文学、作品をつくるということ

まだ取材原稿を仕上げている。あるアーティストが、自らの作品を制作した思いについて「とても個人的なことなんですが」と前置きして、母子をテーマにしていること、なぜ母子をテーマに作品化しなければならなかったのか、生きていくのにその作品が必要だったことを語った。思いを作品化するのに18年かかったという。「みんないろいろあります。何もない人なんていないと思います。何があるか分からないからこそ、アートとか必要なんですよね。みんながハッピーだったら、それを小説に書く必要もアートにする必要もないわけで」としみじみ言われた。

文芸評論家の取材でも、「小説家とは小説で表現せずにはいられない人間がなる、私はなんで小説なんか書いているんだろうと思う人がなるのだ」と聞いた。私は昨年金原ひとみの母子をテーマにした『マザーズ』を読んで苦い思いを抱いたけれど、「あれは文学なんでしょうか」と聞いたら「あれこそ文学です。言葉を書くことで自分の居場所を見つける、自分の存在意義を見出すっていうことです。文章を書けば、自分がこんなことをもだもだ考えながら生きていることに価値があるって言えるわけです」と断言された。

表現をする人間、作家という人間は、その表現によって自分という人間を知り、自分の生き方を見つけるのだそう。そして受け手は、その文章を読んだりアートを見たりして、やはり自分を知り自分を見つめ直すことができる。
前述のアーティストは「世の中の人は心の中のもやもやをどう処理しているのかって逆に思う」と言われた。私自身はそれが登山であり、なぜ山に登るのかと問われれば「自分のことが分かるから」と答えてきた。その答えは何年も前に気付いたことで、それが真であると直感か確信か間違いなく思う。登山が好きな理由が、作家が作品づくりに取り組む心理と重なっていたことに納得する。

そんな取材原稿に向き合っていたら、ザ・コアーズの一番好きな『Unplugged』というアルバムにある「Everybody Hurts」のメロディーが頭に浮かんだ。歌詞が気になり検索すると元はR.E.M.というオルタナティヴ・ロックバンドの1992年の楽曲だった。男性が最も涙する曲1位らしい。歌詞の最後は、「ときに人は傷つくのだ。みんな泣くのだ。だからくじけずにがんばれ」。メロディーがまたいい。昔というほど古くないけど、普遍的なメッセージなんだろうと思ったので、ちょっと書き残してみた。

現代美術の作家、森口ゆたか先生のHUGというインスタ レーション。本当に子どもを抱きしめるということを考え た作品。
同じく森口ゆたか先生のtouchという作品は、親子の手が登場するインスタレーション。学芸員の解説がHPで読める。(http://yutakamoriguchi.info/bibliography/201404tokushima_yoshihara.html

金華山のツブラジイを見たくて

今日はここまで〜。金華山が金色に染まっているということで何とか見ようと思って来たけど、今日の娘はまあ歩かない。やっぱりいつものルートでリス村とみたらし団子のご褒美がないと足が上がらないんだろうか(汗)金華山のよい展望台の鷹巣山の方を選んだけれども半分も行けずにリタイヤ。
それにしても山に入ってすぐ、強い独特の植物の香りが!何の香りだろうと娘に話しかけたら「どんぐりのにおいだよ」と即答された。私は何か木の匂いかなと思いつつ、「そうか、どんぐりかあ、かおちゃんは詳しいんだね」、「お母さんもかおちゃんも詳しいんだよ」という会話をした。どうやらこれ、まさに満開になっているツブラジイの香りっぽい。ブナ科なのでどんぐりの木だ。娘の言うことが間違っていなかったことに驚いてしまった。
ツブラジイの花は白っぽいようなんだけど、なぜ金華山のそれはこうも黄金色なんだろう。不思議〜。岐阜市の木でもあるんだって。しかし虫を集めるらしくまとわりつく虫たちには苦労した!

写真で見ていたけど、実物はすごかった。リタイヤしたけどせめてこれくらいの景色は見られたからよかった。
仕方ない、帰ろっか。

3才になった娘の成長

昨年9月の写真。最近よくこの時の娘を思い浮かべます。2歳8か月。頑固な表情で泣きはらした顔をしていて、どろどろに溶けたソフトクリームをそれでも満足そうに食べている。こぼれたアイスを拭いたティッシュが山盛り。

いわゆる「イヤイヤ期」に私の困惑がピークに達した瞬間だった。たいへんだとはずっと思っていたけど、この時が頂点だった……。思えばまだ2歳なのにね。アイスを買うことを条件に数十m歩いてほしかっただけのことが、彼女は歩きたくなかった。私はここまでずっと娘を背負っていたので、ポニー見学で下したついでに数十mだけでも歩いてくれたら満足だと思っていた。先に行って待ってるねと置いていったら泣いて入口まできて座り込んだ。気をきかせた店員さんがお金を払ってないのにアイスを作って娘に差し出すも、アイスなんかどうでもいいんだ、お母さんに抱っこしてほしいんだという身振りで全拒否。そこからどうやって泣き止み、アイスを食べるところに至ったのかは記憶が曖昧。当時、こんなやりとりが日に何度も起きていた。その時の私を特に絶望させたのは、店員のおばちゃんが「うちの子はここまでじゃなかった」「根性ある子ね」と言ったからだった。疳の虫封じの祈祷を真剣に考えた。やってないけど。

近頃の娘は、賢くなったのか母の気持ちを察するようになったのか、我慢できるようになったのか、イヤイヤが短時間で終わるようになった。時々ガチンコにはなる、例えばだいぶ前だけど「帰ったら手を洗う」をどうしても嫌がりひどくケンカした。しかし翌日から今日までほぼ洗ってくれている。たまに嫌がっても「お母さんが抱っこして(洗ってほしい)」というので毎日じゃないから従っている。他には歯磨きがとにかく嫌で3歳頃までもうやってられないので放置していた。ところが今は週に5日はきちんと磨いている。
この変化を振り返ってみると、3歳になったことと、それを本人が認識して自分を「大きくなった」と周囲と並べて考えられるようになったことが言い聞かせる際の成功要因になっている。成長を感じるたびにあの日の娘と自分がよみがえって。何とも言えない気持ちになっています。