目的は古道調査で杉山さんは3回目。
今回は岩窟に建立された岩井堂(拝殿)に到る、村人が往来したであろう道を踏査した。新たにとむさんにも仲間になってもらった。
プロジェクトの趣旨をおさらいすると、
・明神洞という険しい谷のただなかに岩井堂(明神社)があるが、徒歩で行くことは不可能。急な藪尾根や滝の数々を越えなければ見ることもできない
・江戸時代には岩井堂があり、明神大神が祀ってあった。一説によると1200年前から…と書かれているが怪しい。500年前という記述もある
・岩井堂には戦後まで雨乞いなどの霊験にあやかる神事で里の人が来ていたが、山での生活が厳しくなり離村する人が増え、ダム建設で環境が大きく変わったことがだめ押しとなり、平成になると村人の往来は全く途絶えた
・現在、岩井堂の拝殿は残るが、「道」は忘れられてしまった。古老に聞き取りをしたり、今回の踏査などをしたりして、歴史を掘り起こそうとしている
・現存する拝殿は、昭和56年の写真にも写っている。現地にある石碑には昭和初期の年月で富田金明(金明行者)により建立となっているが不明なことが多い
同行のとむさんは、明神洞から下流にある下大須の出身。下大須には「平木さん」が多く、岩井堂の雨乞い神事の際に先達(せんだつ)として案内に立ったらしい。とむさんも平木。今は亡くなられたお父様やおじい様が、かつて岩井堂に行ったことが現実にあったかもしれず、まさにファミリーヒストリー!
さて、本題。3人で、昭和56年の本の記述を元に考えられるルンゼから尾根を登った。黒く変色したロープや赤布があったのでおそらくビンゴ。慎重に最後の岩壁を登ると、明神洞を見下ろす尾根に立つことができた。岩盤でできたリッジで、すばらしい眺望だった。そして本に書かれた通り、岩井堂を真下に遠望できた。
しかしそこからが問題だった。記述の通りに谷に下降して登り返してみたが、一般の人にはまるで無理だろうという内容だった。下降ルートが違う?と思い、別の尾根、別のルンゼも検討はしたものの、記述や地形と照らし合わせるとやはりここ。周囲は大岩壁の立ち上がる壮絶なゴルジュであって、たまたま岩壁を短い高低差で乗り越せる弱点が、岩井堂から直線距離で50mくらいの地点にあるのだ。正解である可能性が相当高い。
この厳しい登下降がかつての村人の道だったならば、私たちは村人が岩井堂に向かう覚悟を「舐めていた」!
正直、普通の人が努力すれば行けるルートなら、自分たちなら余裕だろうと思っていた。登攀具があって山慣れもしている。それが、全然余裕じゃない。けっこう、いや、マジで危険なレベル。岩がチャートでとにかく脆い。今回も落石するシーンが3回はあった。二足歩行できる場所がほぼないので、岩か灌木を頼らないとならないのに、岩はボロボロ剥がれるわ、枯れ木は頼りないわ、苔は滑るわ……
明神洞からの登り返しはアルパインクライミングの世界だった。ちょっと下降ポイント間違えた気がするけど、それにしたって。
雨乞い神事、霊験にすがるというのは、命を危険にさらすくらいの覚悟だったのか。三人とも脂汗浮かべながら、岩井堂を往復した。落石くらわなくてよかった……外道クライマーに大概しごかれててよかった……
明神洞への下降ポイントは、やっぱりちょっと腑に落ちない。ムリすぎる。そこから赤布がなくなるのも「?」。リッジを上へ移動して、他の可能性がないかまた探りたいな……って何回明神洞に行くんだろ!(笑)
この週末はとても暖かく、絶好の沢日和だった。調査は続く!