そして最後の妊婦生活

 「もう流産は嫌だな」「子育てで自分の時間を失いたくない」――。9~10月は長女のイヤイヤ期に最も悩まされた時期で育児に絶望していて、これからについて知人に会ったり図書館で本を借りたりしてよく考えた。どちらの行動も悩んでいる自分を客観視でき、考えを比較するなど冷静になることに有効だった。それが功を奏したのか11月には長女の様子が落ち着き、次第に私も二人目を再び考えることができるようになった。そして迎えた二度目の妊娠期間のレポです。

四度目の妊娠

 治療を再開すると、すぐのAIHで妊娠できた。四度目の妊娠、うまくいくだろうか。6週に入る頃に病院を訪れると早くも心拍を確認。二度目と三度目に越えることができなかった心拍のハードルをあっさり越えられた。「こうやって胎嚢がコンパクトにまとまっているといいんだよ、今度はうまくいくんじゃないか」と先生。

 心拍があっても、心のどこかでいつ流産になっても悲しくならないよう身構えている状態だった。その心配は終わりがないので知人に伝える際も予防線を張り、FBで公表したのは出産が迫る7月、もはや妊娠報告ではなく出産予定の報告だ。胎児に問題がないかも検診のたびに確認した。第一子のときはそういったストレスはほとんどなく過ごせたことを思うと、 流産は相当なトラウマになったと思う。

二度目は軽めのつわりだった

 12月末から2週間(妊娠8~9週)がピークで、その間は毎日吐くし、風邪も引いているしでしんどかった。しかし2か月気持ち悪さが続いた長女のときに比べると始まる時期はゆっくりだし、ピーク期間も短くすんだ。今回も覚悟していたが妊娠によってつわりの重さは異なるようだ! これは朗報だと思う。10週から徐々に楽になり寝てばかりでもなくなり、「今日は吐かずにいられたな」「明日はダメかもしれない」そんな風に思っているうちに過ぎていった。とにかく寝てしまえば1日が終わるので、空腹を我慢しながらとにかく早く寝て忘れてしまうことにした。

  つわりがあっても休日は長女の面倒を見なければならない。ちょうどこの頃に夫が休日も仕事をしなければならなかったので、一人で彼女を連れ出して遊びに行くのは難儀した。しかしおかげでつわり中も月1回のmini登山を続けることができた。

全力で走っちゃいけない

 妊娠4ケ月の頃、電車に間に合わないと思って全力ダッシュしてしまった。すると脱力感がひどく心なしか腹部も痛いような……何時間かすると忘れられたが翌明け方に鮮血の出血。さすがにこれは失敗したなと焦り、自分をいましめるためにも産婦人科を受診することにした。流産の兆候など何事もないのはよかったが、今回は胎盤が出口に近いところにあるために出血しやすいと言われ、1週間安静を指示された。札幌出張を控えていた時期で、あやうくドクターストップされるところだった、危なかった。(胎盤の位置はその後上へと上がっていった)

札幌と大阪の出張

 2月下旬には雪の残る札幌へ一泊二日の出張(視察)に出かけた。昨年から私がコーディネートしていたこともあり、ぜひ行きたいと思っていた。電車を乗り継ぎ歩き回り、たぶん妊娠していなくても疲れたと思う。それでも貴重な体験ができてよかった。医者に行ってよいか聞いたときは「行かなければならないんでしょう」と言われたのが印象的。笑

 その後すぐに文化庁事業のアートイベント本番もあり、この頃はかなり忙しく文化祭のようなドタバタ感だった。当日は撮影くらいしかやることはなかったが、お昼に血の気が引いてきてトイレにかけこんだ。目がチカチカして頭がグラグラした。緊張か疲労か? ちょっと当時は忙しすぎたな……。

 リクルートからの仕事も大きなもので、5本の取材&執筆は簡単ではなく、 夜中や明け方に仕事をすることも多かった。お一人は大阪までの日帰り出張。マイナートラブル(腰痛、恥骨痛、胸焼け、皮膚のかゆみ、花粉症など)は数多いが、さすが安定期、体はスッキリしていた。胎動も感じられるようになる。

だんだん動くのがしんどくなる

 3月、妊娠6か月になってやっと娘に「赤ちゃんがいるよ」と言えるようになった。 それ以降、娘は毎日とても赤ちゃんのことを楽しみにしていた。ただ彼女は遊び相手を意識していて女の子がいいそうだ。エコーでは男の子と言われているんだけど。

 第二子はお腹が大きくなるのが早い。というよりも骨盤や恥骨まわりが緩みやすいからだろう。いっそうお腹が重く感じる。実際にスピード出産だったことを思うとこれは多分本当だ。5月になって妊娠8か月になって、「まだあと3か月もあるの!?」という気分だった。妊娠期間ってこんな長かったっけ。体の重さ、足腰の痛さ苦しさで日々の散歩といった運動は全くできなかった。半日外出したら残りは昼寝という日も多かった。

最後のマタニティライフ

 記念の思い出作りは第一子のときに十分堪能したのでマタニティフォトは撮らなかった。万札が何枚も飛んでいくし。もし第一子のときに心残りがあれば、取り戻せるチャンスだと思う。

 心残りといえば、マタニティハイク。妊娠中に登れる山の数は限られている。気力体力、家族の都合、天気をみて、後悔しないよう十分できたかどうか。鈴鹿の上高地に出かけたのは妊娠8か月だった。さすがに妊婦が一人で行くような場所ではないので、声をかけてマコちゃんとマギーに付き合ってもらうことができた。詳しくこちらに。

やぶこぎネット 妊娠8か月で鈴鹿の上高地

 娘と友人家族とキャンプにも行った。そして臨月に行けた最後の登山はドライブウェイからの伊吹山。梅雨が明けず雨に降られたけれど。3人目の育児は考えていないので私のマタニティライフ、マタニティ旅はこれが最後になるんだろう。