二度の流産体験

 第一子の時は自分の子は健康に生まれるものだと信じて深く思い悩むこともほとんどなかった。ところがその後二度の流産を経験。幸いかわいい第二子を授かることができ、ようやく私の妊娠出産は一区切りだ。この体験を自分への思い出として書き出しておきます。

一度ならず二度の流産

 2017年12月と2018年7月にどちらも心拍が確認できない初期の流産を体験した。原因はだいたい胎児の染色体異常だということでこれは自然淘汰。生まれても生きられない命だから育たないわけで仕方がないことだと分かると、一度目はそんなものかと思った。私は第一子から妊活で産婦人科に通っており、第二子も引き続きAIHを続けた(第一子もAIH)。

 流産が二度続くことは誰も想像しない。次の妊娠が分かった時、6週目では心拍が見えなかった。少し不安になる。7週目も心拍が見えなかった。まさかまた流産なのかと思うと一度目にはなかった感情が渦巻き、今度はダーッと涙が出た。まさか自分が二度も流産するとは思わなかったので、早いタイミングで友人や仕事の関係に妊娠を伝えてしまっていた。大学の同期も出産予定があったので、みんなそろって同学年だねと喜んでいたのに。

流産に納得できるまで

 確率でそういうことがあると話すと夫は案外平気そうで「仕方ない」と言ってあっさり。誰に思いをぶつければいいんだ。産婦人科の主治医も「こういう仕事しているとよくあることです。 一人健康な子を生んでいるし、いろいろ気になるかもしれないけど自分の数回の妊娠だけで何かを判断するのは的外れなこともあるから考えすぎないように」。うーん。

 流産が二度続く確率は一般的な数値で2~3%程度のはず。そうあっさり納得するわけにはいかなかった。今後も子どもを望むなら原因をハッキリさせておきたかった。自分で不育症(反復流産)について調べると、名古屋市立大学病院がこの辺りでは特に治療や研究に力を入れており情報提供もたいへん手厚かった。

 そこでは2回流産したら不育症の検査を受けるのを推奨していたので、主治医に名市大病院への紹介依頼を申し出ることにした。稽留流産のそうは手術も名市大病院で行えば胎児の染色体異常を調べられる(検査は自費で3万8千円と予想より少額だった)。紹介状を持ってすぐ受診し相談すると「やってみていいと思います」という回答だった。胎児がいつ流れてしまうか分からないので、急がなければならない。大学病院なので何かと待たされるが、流産手術は翌週の最短で予約をしてもらえた。(流産手術の記録はブログにも書いている http://tera-studio.com/index/?p=1741

胎児の検査結果

 手術は簡単と思っていたけれど案外ダメージは大きかった。はじめ夫が出張だか仕事だかで来られないかもしれないと言っていたが結局休んで付き添ってくれて助かった。娘もいるので祖父母にも手伝ってもらった。つわりなのか気持ちが悪く体力が落ちていて、術後も体調不良が続いた。猛暑で食欲もなく2週間程度は動くのが億劫だった。

 胎児の染色体異常は、確かにあった。この結果が出ると親の問題ではない可能性が高いため予後は良好だそうだ。私は親側の不育症の血液検査など(5万円ほど)には進まず、もしまた流産したら考えることにした。名市大病院はさすが不育症に力を入れているだけあって医師の話は信頼できそうで、時間もお金も余分にかかったけれど納得できてよかった。

医師から聞いたこと

  • 流産を繰り返すからといって、妊娠時に胎児の難病や障害が現れる確率が高いわけではない。それは別問題。妊娠さえできればそれ以降の発育は通常通り。
  • 人工授精や体外受精、また投薬などによる妊娠でも、その後の胎児の発育に影響を与えることはない。方法は何でもいい。(こういう言い方だった)
  • あなたの通っていた病院に問題がないか心配かもしれないが、人工授精によって半年ほどの間で二度妊娠を成功しているということは、結果は流産でも優秀であるといえる。だからその病院で治療を継続することで問題ないと思います。
  • あなたの年齢、これまでの流産の回数から、次の妊娠で成功する確率を計算できます。7割後半ほどの割合で成功するはずです。

その後

 1か月ほどで体力も戻り気力もわいてきたが、すぐまた二人目を考えようという気持ちにはならなかった。また流産したらと思ったし、こんな体調不良でも夫や長女の食事を作り掃除洗濯をしなければならない現状に、仕事は続ける前提で子ども二人も育てられるんだろうかと疑問を感じた。

 長女のイヤイヤ期なるものも当時がピークだった。子ども二人欲しくないわけじゃないけど今は頑張れない。これに関して夫と意見が合わず、そのまま話し合うこともしばらくしなかった。

名市大病院でこんなアンケートが実施されていた。選択肢に若干の怒りを感じた。
二度目の流産は私の人生でかなりの打撃だったことが読み取れる。