20代の頃は欠かさず日記をつけるのが精神安定剤的な作業で、製本サービスを使ってすべて本として残しました。ふと2009年、27歳くらいの日記を見たら、入社して以来の仕事量で毎日終電になってました(笑)
100人規模の部署で月間残業クイーン(正確には上にキングがいる)にもなりました。日々「仕事が終わらないのです」「幽霊出社(=いないはずの日に出社の意)」「月曜から深夜残業か」「もう思い残すことはない」みたいな真情が吐露されていて。母にもう辞めてもいいみたいな愚痴をこぼしたら「うちに戻って来られても小遣いやれないからね、どうせ服買いたいとか言うんでしょ」って。笑うというか微笑ましさを感じる!
課長(女性)から食べかけのメロンパンをもらったらしく先輩と「エシックスラインぎりぎり」と会話するとか、にぎやかな女性に囲まれて楽しかったのもこの頃。
それだけ忙しいのに、驚くのが、週末は寝てるわけではなくせっせと仲間と遊び、思い切って沢登り教室に通い始めるなど登山も熱心にやりはじめていること! 気力と体力が半端ない~。初めて沢登り教室にいったときは、いきなり沢靴でモミソ沢懸垂岩を登らされ2回ほど落ち(注:トップロープ)、上下で確保している講師に「手足の置き場が見つかりません!」と泣き言をいい、いわく「万事休すみたいな気持ちを味わえた」そう。何度思い返しても笑える思い出。二度と来るかと思いながらも通い、特別講師のエクさんの声かけで山岳会にまで入ってしまった年でした。
「何を血迷ったのか富士山に行きました」というのが12月。前夜は会社の忘年会を1次会で抜けて帰宅し、7人分のペミカンを調理してパッキングして就寝するというハード生活。そして山岳会には入ったばかりなので感覚は一般人のまま。日記に「私がすぐに『死ぬ』とか『やばい』とか言うと『大げさだなあ』と言われてしまう」って書いてあり、「雪山はハードルが高かった」と落ち込んでいます。我ながらダメダメで、これは笑えない思い出。でも佐藤小屋に写ってる自分は笑っていて、この写真は好き。
この年取材をした川崎フロンターレの憲剛選手が言っていました。プロになって振り返ると、中学のときにチームが弱くて自分も上手くサッカーができず「もっと思う存分サッカーがしたい!」とすごくくやしかったのが、その先を作ったと思えると。だから苦しい時期があって良かったと。
何年かして、あのときああだったなって、また思うのかな。なるべく変わらない・挑戦しない生活もできる。変化は怖いですが、変われるなら変わっていきたいと思い、正しいかは分からないけど変化している自分を確かめてみたり。
