あれから10年という日

私も記憶をたどろうと思い、当時の記録を見返した。

テキストは当時の日記、写真は2011/3/17のもの。カメラマンの賀地さんとはこんな強烈な取材が多かった。余談だけどこの年の5月に夫と結婚したので、結婚する前から「旦那さん」と呼んでいたんだな、と冷静に分析してしまった。

「大地震」2011-03-1114時46分

最初は小さな、でも上下の揺れが来て、それが続くと思ったら大きな大きな横揺れに変わった。しかも大きなものが2回くらい来て、1分半くらい揺れたかと思う。もっと長かったかも。とにかくすごく揺れて、机の上のファイルは倒れたし、スケジュールボードも落ちてきた。自分は10階だから余計に揺れたかもしれない。停電することはなくて、ネットなんかは普通に使えたけど、電話は全然ダメ。すぐフロアのTVをつけて、とりあえず電車が動かないし、見ながら仕事もぼちぼちするが、手につかない。15分置きくらいに余震も来るし…リアルタイムで津波の様子などが報道されていて、本当にビックリする…まさに今、津波が来てる!って。ちなみにエレベーターは停止していて、ビルの外に出るかは自己判断とされた。私は外に出ないでビルにとどまった。電車が動かないけど、バスは動いているらしいから、帰れる人は順次帰ってくれと言う指示が出た。原付で家まで帰ってきた旦那さんから、大丈夫か?とメールが届いたのが16時半ごろで、車で迎えに来てくれるという。それを返信するにも連絡がつながらず、携帯からは遅れないからPCで送った。7時すぎに来てくれて帰るも、道が激混み。彼の職場付近は停電もしたみたい。でも我が家は荒れてなくて、ここは意外に揺れなかったのかなって感じ。とにかくひどいことになった。かなり非常事態。記憶に残る災害になる。

「地震後」2011-03-13

明日から出社か。京王線が9時〜13時、18時〜22時もまたストップするというから、いったい会社の行き来はどうなるんだろう。金曜は地震でビックリ、だんなさんに迎えにきてもらい、会社の後輩を車で送って家に帰ったのは23時頃、翌日は、原発のニュースでTVにつきっきり、今日は節電に備えたり、明日の出社はどうなるんだろうって過ぎていった。3日以内にM7クラスの余震がほぼ来ると言われているというから、会社も調子がよくない人は出社を控えてよいとの連絡に切り替えた。

「ロケ」2011-03-17

津波で東北は大被害を受けているこんなさなかに浜辺でロケした。読者にはもちろん東北の人もいる。その方々のことを考えて誌面を作らなきゃ。取材前でよかった。漁船にも乗せてもらった。軽油がなくて困っているだろうに…船長さん、ありがとうございます! ガソリンない中で車出してくださったカメラマンさんも、付き合ってくれたライターさんも、ありがとうございます! 上司に現地での報告をし忘れていて「心配しているんだから!」としかられてしまった。